20260408

ブレッソン『白夜』4Kレストアブルーレイを買おうとアマゾンを開いたところ、案の定品切れ。入荷予定なし。流石ブレッソン。

出町座で観た時はその静かで厳しい画面を前にうとうとしてしまったのだが、なんとなく良い映画だったことは覚えており、その後現在に至るまで脳裏にこびり付いて離れない。良いものの大半が遅効性であるならば、今の自分が選り好みをする理由はない。観れるものは観れるうちに観ておくべきだ。

一方、半分以上寝てしまったペドロ・コスタ『血』のことは存在ごと忘れかけている。『血』だったか『骨』だったかでさえももはや朧気だ。

区役所に行く。混んでいる。これは数時間かかりそうだ、ということで、この日記を書いている。キレているおばさんが場を掌握している。見ものだ。

考えさせられた、という言葉が嫌いだ。普段何も考えていない人から出る言葉だから、何も言っていないのと同じ。

言語化もそう。言語化が流行っているから言語化をしているわけではない。流行り物に食い付くピラニアは言語化が流行り終わると同時に言葉を失うのだろうか。

これらは所詮陳腐な知的アピールに過ぎないし、そんなことをやったことで知的でも何でもない。もっと言うと、知的である必要はない。例えば、自分のことを賢いと思っている人の書く文章の殆どは最後まで読んでいられないものである。無自覚を自覚し続けることも技術のうちだ。

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