手を繋ぐカップルは宇宙みたいでかっこいい。ソリッドであると言ってよい。
普段生活するとき、私は「ソリッド」を意識している。ソリッド(solid)とは、中身の詰まった頑丈な状態のことを指し、転じて、簡潔で必要十分であるがゆえに魅力を持った物事に対してそう呼ぶことができる。例えば、水は液体だが極めてソリッドである。スマートフォンはソリッドではない。本はソリッド。黒沢清の映画もソリッド寄り。クリストファー・ノーランの映画はソリッドではない。YMOはソリッド。サブスクはソリッドではない……あくまでも主観的で、種明かしをするとそこに大いなるソリッドでなさがあるのだが、それを一種の分別遊びと割り切っているところにまた別のソリッドがある。
歌人の青松輝(ベテランちという名前でYouTube活動もしているそうだ)も同じようなことを言っているが、彼には彼のソリッドがあり、そのソリッドに対してのリスペクトを欠かさないということは、私にとってのソリッドなのだ。
誰もが精神にソリッドを抱えており、ソリッドでない部分を減らしていく一連の作業もまたソリッドである。それは実生活で役に立つ立たないに関係ない。興味が無いのに無理矢理政治を学ぼうとするのはソリッドではなく、芯からの知的好奇心というソリッドを用いて学ぶことで初めてソリッド的行為とみなされるわけだ。学校の宿題を嫌々やるのはソリッドではないが、内なるソリッドによって宿題にはたらきかけることにより、その宿題もまたソリッドになる。
手を繋ぐカップル。メビウスの輪のような大いなる完結性と天文学的な神秘性。これをもってどうして二人の関係がソリッドでないと言えるだろうか。バイト先でそんなカップルを見る度に「永遠に」と思うばかりである。
帰宅。パートナーがアヒージョを作ってくれた。自分ではなかなか作らない品。特に海老が美味しい。
カフカ『城』を4分の1ほど読み進める。測量士Kはいつまで経っても目的地の城に辿り着かない。それだけの話なのに、それにしては結構の文章量。どいつもこいつも城の話になると融通が利かないどころか、コミュニケーションさえも破綻する始末。登場人物のほぼ全員が秘密裏に結託してKを城に行かせないようにしているんじゃないか。KもKで恋愛にうつつを抜かしたりすぐキレたりするので、最後まで彼は城に辿り着かないのだろうなという雰囲気を既に感じる。