20260426

パートナーの家に転がっていたブコウスキーの『町でいちばんの美女』を読み始める。下世話な話が多い。無頼派による自伝的作家として西村賢太の名前がすぐに浮かんだが、ブコウスキーは彼よりも荒々しく、腕の毛が濃い感じがする。流石アメリカ、といった感じ。オチも何もないけどリズムよくすらすらと読める。「うんこをするのは気持ちいい」みたいなこともわざわざ書いてあって面白い。

二度寝してしまい、起きると13時になっていた。疲れが溜まっているのだろうが何もしないわけにはいかない。アマゾンプライム便でやってきたたまごっちを開封して京セラ美術館に行き、日本画アヴァンギャルド展に入場。

前衛団体というものはそのシステム上どのみち沈みゆく船になってしまう。ある権威に対抗して設立されたはずの団体が体制に吸い取られてしまうか、大量のN極が退き合うように解体されるかの二つである。それでも純粋な何かをもぎ取ろうとする姿勢が、まずかっこいい。自分のためではなく芸術のためにそこに存在し、行動をする。性格が良いとか悪いとかそういう次元の話ではない。彼らにとってキャンバスとは、自分を表現する手段ではなく、その平面が豊かさを取り戻すための長い旅そのものであったのだ。確かに目の前に存在している決して本物ではない鹿や裸婦、赤ん坊、水面、砂浜、線路……漫画を描きたいと思ったし、上手くやれるだろうとも思った。私はあまり日本美術に明るくないのだが、広田多津、向井久万、菊池隆志、山﨑隆、西垣籌一あたりの、抽象に行き過ぎない、コンセプトが明瞭でかつある程度の緊張感を持った作品が好きだった。訪れて良かった。展覧会。昔は頻繁に行っていたはずなのだが。

図録を買おうか悩んだが、ページの中の作品群にハッとせず、キャンディポーチを買って退場した。

KYOTOGRAPHIE。閉館時間の関係で森山大道の展示のみ拝見。袋小路に入ったような順路と、膨大な作品群。彼の作品とはある一枚ではなく、絶えず更新されていく全体なのだ。そしてその宇宙的全体によって断片が浮き上がってくる。狼のような粒子に包まれた荒々しい被写体は元の被写体を食い尽くす。そこにジャーナリズムは存在せず、ただ明暗のリズムがフレーム内を支配している。非常にソリッド。ポストカードを購入。遠くに都市のビル群をのぞみ、満たされた空に左手をかざしている。

村屋が閉まっていたのでバクト京都に寄る。18時を超えていたので撮影禁止。スパイスカレーとコーヒー焼酎を摂取し、火起こしと舞踊、アンビエントな演奏からなるライブを鑑賞。目の前で踊る炎。ここはスマートフォンの存在しない世界。変容する熱の形は記録不可能。絵画や写真は全くの嘘を、そしてこの炎は眩しいほどの真実を導き出し、それらに挟み撃ちされながら我々が存在する。芸術が世界を救うなんて考えがどれほどの怠慢の末にひねり出された甘えであるだろうか。

たまごっちが寝ている。初めに時刻を入力したので、人間が寝る時間にたまごっちも寝るのだろう。名前を付けていない。私にはネーミングセンスがない。

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