休日となると気が緩んでしまい、今日も昼過ぎまで眠ってしまう。風呂に入り、スーパーで適当に腹ごしらえをする。特に用事もない。やることは沢山ある。
まず、6月半ばに開催される『ZINEと隣人にちようび』の準備をしなければならない。ZINEの制作は勿論のこと、写真集や名刺、フリーペーパーも作っておきたい。大変。
次に脚本。いい加減紙に書いていかなければならない。
最後に、未だにパートナーの家にある大量のレゴを引っ張り出さなければならないということ。9月に友人がレゴオフをやるというので、作品制作の必要性が出てきた。
坂本龍一『音楽は自由にする』を読み終える。彼の音楽に対する数学、脱構築、土着性、機械、自動筆記、劇伴などを巻き込んだ様々なアプローチは興味深かった。読む人が読むとイラっとしそうな描写もいくつかあったが、それも教授らしさ。可愛げすら感じる。知られざる幼少期や学生時代の話。とても楽しそうだった。はっきり言ってジェラシーのようなものを感じた。方向性とレベルの合致する友人が欲しかったし、若気の至りと一蹴されるような訳の分からない運動もしたかった。今思えばあそこは規制が緩い国家でしかなかったのではないか。先生方には悪いが。
細野晴臣『アンビエント・ドライヴァー』が思考のそのまた深くを彷徨うような、スピリチュアルでねちゃっとしたエッセイだったのに対し、教授のエッセイ(、と読んでいいのかしら)は自伝的で、「あの時はこれがあって、こういうことを考えていた」と、淡々といた語り口だった。鈴木正文という聞き手の存在も相まって、さっぱりとしてすらすらと読める。
本人のやっていることはめちゃくちゃで、しかもそれが坂本龍一だというのだから余計エネルギッシュで、楽しかった。徹夜をしたくなるような本だった。
さて、思ったよりスラスラ読めてしまったので、次に読む本を玲子と考える。結果、アンドレ・バザン『映画とは何か』を読むことにした。岩波文庫は文句の付けようがない良い文庫だと思っている。ブレッソンについての評論もあるらしい。映画についての本は特性上、話題となっている映画を読者が観ている前提で書かれているのだが、こういった古いテキストではそもそも該当映画が観られない環境にあるということが往々にしてある。蓮實重彦『見るレッスン』を読んだとき、『殺し屋ネルソン』なんてどこで観られるんだ、ふざけんなと思ったものだ。本当の意味で優れた映画は映画館でガンガンかけて、バンバンサブスクに流したら良いと思う。良い映画が評価されないのは観客のレベルに問題がある、という意見には渋々同意。もっと言うと、配給が悪い、国が悪い、という流れになる。霞が関のお偉い方なんて映画なんか観ないし、日本の映画が賞を取ったかどうかだけ気にする。
昨日行けなかったので、一人で飲みに行く。常連の人と恋バナやくだらない話をする。結局これが楽しい。隣の人がAmwayのことを終始Anywayと言っていたのが頑なで面白かった。
パートナーの家からレゴを全て引っ張り出す。家はあっという間にパンパンに。久し振りにレゴを買い足したい。
喉が少し痛い。