6月になった。6月と言えば私の誕生月だ。今年で24になる。厄年。確かに体調不良の日が多い。留年はともかくとして。
父親に「お前はサラリーマンに向いていない」と言われたり、ゼミの先輩に「大久保君には就職してほしくない」(ともに意訳)と言われたりしているため、つい最近まで就職活動をする気は全くなかったのである。しかしながら私の人生は最早私一人のものではなくなった。パートナーがいる限り、自分さえよければよいという考えは甘えになる。彼女は根っからの作家気質の私を支えるような人ではない。私の言う通りにいい子ちゃんでいる人でもない。私と背を並べて対等な関係を築いてくれる人間だ。私は大変助かっている。私が就職活動に触れるのは完全に彼女のためだと言ってもいい。しかし、これが回りまわって自分のためにならないこともない。リズムよく働いて安定した収入を得ることは、作家活動において何の冒涜でもない。寧ろ、定期的に何か別のことをしておいた方がインスピレーションも高まることだろう。問題は、私にとって週5の8時間勤務はあまりにもハードルが高いということだ。
メルツバウが作ったみそ汁は、きっと美味いだろう。ノイズミュージシャンは総じて料理が上手そうだという偏見がある。なぜか。
鈴木眼鏡『アレクセイ・パジトノフと1984年のテトリス』を読む。マクドナルドのバイトを辞めテトリスをただやるだけの仕事に就いた主人公が同僚の企むラッダイトに参加するのだが……。
マクドナルドとテトリスという、資本主義と社会主義それぞれを端的に表すアイコン。マクドナルドを脱した主人公はテトリスアーケードの椅子に座ってゲームをプレイするだけで一定の給与が貰える仕事に就く。テトリスは正確にスコアの数値を表示するが、ハイスコアは関係ない。テトリスマシンの打ちこわしによる小さな社会主義の崩壊。
そして何より面白いということ。更衣室の隠しカメラがバレるくだりは洗練された振り落ちだった。そしてきっと、この小説は筆者の体験の断片から構成されているのだなという一種の切実さもあった。
切実さ。
体調も良くなってきたが晩ごはんを食べる気が湧かない。そんな中友人に飲みに誘われたのでこれを断らない。緑茶ハイを頼む。たくさんの料理が運ばれてきて、それらを順番に食べているとあっという間に席は埋まった。
パートナーの友人が来ていた。彼女は今度の映画に出てもらう演者であり、まず私に脚本の催促をした。そして、私の創作に対する態度の甘さを指摘し、私とパートナーの関係に疑問を呈した。「まずは完成させるのが大事だから」「お互いにもっといい人がいると思う」と、こういった調子で。私はそれをずっと聞いていた。前者に対してはまさに切実という言葉が相応しい。10年後も映画を撮りたいなら、これは腹を括る必要がある。まずは目の前のことをやる。脚本を明日中に書いて誠意を見せよう。ここから全てが始まる。
しかし、パートナーとの件に関しては、私はとても悲しくなった。その人の話を遮らず、口を閉じて聞いた。私の見えないところで何らかの力が絶えず働いているように思えた。
コミュニケーションは重要だ。そばにいるから言わなくても伝わるでしょうという傲慢さが、関係を蝕む。些細な事であっても話題にして、極力隠さず話すこと。自分の発する言葉の責任から逃れることはできない。その責任と絶えず向き合うことが良い関係に繋がると信じている。パートナーから学んだことの一つだ。
深夜。店内は男だけになる。HASAMI groupをかける店主と財布に3000円しかない私は早朝6時までの数時間、あるあるを交互に言い合っていた。さっきまでの切実さから逃れるように。
雨の中家に帰る。