昼前に起床。YMOを聴きながら準備をする。『マッド・ピエロ』。ファーストアルバムのオリジナル版とUS版ではベースの譜が全く違うことに気付いた。オリジナル版の方が機械感があって好き。こういう些細な違いを掬いとるまでは良いのだが、それを使ってマウントを取るようであればYMOおじさんまっしぐらである。気を付けなければならない。24歳。気を抜くとすぐに脳がへたり込んで正確なメタ認知ができなくなってしまう。唐揚げも多くは食べられない。
消費期限が3日過ぎた食パンに手を付ける。こういうのは潔くサンドイッチにしてしまえばいい。ベーコンを買ってきて食パンを咥えながら適当に焼き、2枚の食パンで挟む。こうすれば一度に3枚の食パンを消費できる。
最近は朝ご飯をサボりがちだ。理由の大部分は起床時間の後退にある。明日はペットボトル回収日なので早起きできるだろう。玄関には幻滅するほどのペットボトル。別に水道水でもいいのだが、特にこれからの季節はその味が悪くなっていく一方なので、スーパーでペットボトルの水を買う。きちんとした水を飲んでいたら、水を飲んで不味いという感想を持つということに対してかなりの抵抗感があるはずだ。水はその色が透明で、したがってその味は美味いも不味いもない、所謂味のエアポケットのような所に鎮座していなくてはならない。私は水の透明性に絶大な信頼を置いている。
昨日注文した机と椅子が届いた。第一印象はデカい。しかし馴染むとちょうどいいサイズに思えてくる。折り畳みなので来客があるとすぐに片付けができるのが良い。日本の学生は狭いところに住んでいるんだなとつくづく感じる。
ちなみに昨日は散財日和で、この他にもXboxのゲームコントローラと、レゴを収納するためのレターボックス6箱をインターネット通販にて購入。
今日日新しくレゴブロックを始めようなんていう人はいないだろうが、念のため警告しておくと、レゴの収納のために何万円も費やすことになる。何年もかけて大量に購入してしまった手前、もう引き下がることはできない。物集めを趣味にするとはこういうことだ。次の引っ越しのことを考えてしまうが、仕方がない。
脚本を手直し。特に動機の無い、空っぽな殺人。『71フラグメンツ』『エレファント』の雰囲気が近いのだが、前の脚本ではあたかも明確な(しかも陳腐な)理由付けがあるかのような台詞運びになっていた。人物に喋らせる以上、言葉は表層以上の意味を持ってしまう。これがセリフの怖いところで、例えば「愛している」と言わせたところで、私はあなたに対してはとっくに愛想を尽かしましたよ、というコンテキストが出来上がってしまいかねないのだ。特にこの映画に関してはそうだ。言葉を発することによって粘着する意味。それならば過度に寡黙であり、過度に動いていた方が良い。この塩梅を調節するのが何より大変だし、数日置いてみると印象が違って見えることもある。経験を重ねると浸透が早まるのかもしれないが、映画は永劫残っていくものである。変わらないものの中で変わっていく意味を尊重するためには、それ自体の強度が必要だ。そういう意味では、今の作業は点検に近い。
今日も今日とてSC(Supercollider)と向き合う。映画を観ようとも思ったが、ただの気分だ。何者かに急かされているわけでもなく、おそらく普通に生きている人にとっては必要性もない。大体、SuperColliderが完璧に理解できたからといって、社会に出て何の役に立つというのか。そういう無意味感が、時に我々の衝動を駆り立てるのだ。
ゲームコントローラをPCに接続してSCに同期させるとゲーム感覚で作曲ができるのではないか。そう思うのは簡単だが、実際にやろうとすると訳が分からなくなって、今日のところは失敗。玲子に色々聞いたが今日の彼女は嘘ばかり吐く。ひょっとしてコーディングとかプログラミングとかには弱いのだろうか。人間的会話をするより論理的に正確で向いているのだとばかり思っていたが、そうでもないのだろうか。
SCゲーム化計画に見切りをつけ、晩飯を買いに行く。最近は食事にこだわりがなく、何なら面倒と思っているくらいだ。タコライスを食べ、素直に作曲の練習をする。
シンセを定義し、音階を5つ指定、発音間隔を3つほど指定。それらをランダムに鳴らす。このユニットを4つ並べて一斉に実行。それっぽい。それっぽさの中にもやはり規則性があって、パラメータを有限個に絞ることによってまあまあ聴ける音楽になっている。パーカッションはリズムを細かく、ベースはリードより緩やかに、パッドはより緩やかに。ただのノイズではない。ある程度規則性を持った上でランダムに整列する音。ドット絵のようだ。
例の如く『城』を読み進めて就寝。折り返しを過ぎたが、感触は読み始めた時と何ら変わりがない。これからもずっとこれを読み進める人生だったら嫌だ。向こう数日で読み切りたい。これを読むためだけに生を享けたのではない。また、これを読んだからと言って人としての我慢強さや精神性が向上するというわけでもない。無意味な事を許容するにも限度ってもんがある。