20260618

そろそろポートフォリオを作らねばならない。文章を長々書いても仕方がないようだ。

大きなピザパンを食べたらお腹いっぱいになってしまい、これを昼ご飯とする。

今回のゼミは元同期の先輩(話せば長くなるが、バグでタメ口を使えている)の紅花畑にお邪魔しようというもの。今日に限ってやたら暑いが、それでも皆来ていた。

道中でたくさん写真や動画を撮り、畑に着いてすぐ電池が切れてしまった。

散歩は好きだ。最近はあまりやっていない。日中は暑くなる一方だが、夜中にほっつき歩くのもいいかもしれない。

畑にはたくさんの生物がいて賑やか。都会では見ない大きさの蟻。彼らにとってはこここそが他でもない大都会なのだ。葉の裏には大量のアブラムシがいて、デカい蠅みたいな虫が交尾をしていた。好き放題やっている。よろしい。

植物というものは肥沃な土壌だと上へ上へと成長していくのだが、栄養の無い土壌だと子孫を残そうと実が大きくなる傾向があるらしい。身を大きくしたければ廃棄場の近くなどのオワコンの土で育てるといいらしいが、人間に置き換えてみると劣悪な環境で生命力を高める兵士みたいで心が痛む。しょうがないか。人類は皆天国には行けないと思う。

帰るときに小さな段差で躓いてしまう。「どんくさ!」と後ろから後輩の声。入学はこっちの方が早いのだが学年で言えば1つ上という舐められ要素があるためである。特にこの後輩は辛辣で、隙あらば私を弄ってくる。辞めないでほしい。下を見て強く生きてほしい。

研究室に戻っても何もやることが無いので、その足で映画を観に行く。

出町座で『河童の家』を始めとする芝田日菜の作品群を観た。長回しと音へのこだわりが印象的。アピチャッポン・ウィーラセタクンを彷彿とさせるが、こちらは運動に対してより意識的というか、オンとオフがはっきりしているのでスリリングな体験に還元される。故にどこか不穏な、時にホラーと遜色ないような感触を受ける。

こういう映画はどれだけ早くスタイルを掴めるかが鍵となってくる。青年は屋敷を訪問し、水道の水が赤くなっていることに気付く。ここで若干うとうとしてしまったが、そこへ脈絡なく女がフレームインしてくることで「ああ、そういうことか」と納得し、最後まで面白く観ることができた。一つの屋敷で生活する複数人の女達。お互いに見えているのか、見えていないのか。彼女らは女に悪戯をしたり、物を渡したり、その手つきは時に幽霊的、いや妖怪的。体重を感じさせないフレームイン・アウトに妖さを感じる。ここだというタイミングとここまでだという空間把握能力。たくさん練習をしたのだろうが、十二分に成果が出ている。

ドリーの使い方は本当に巨匠のようだった。部屋から部屋へ。ドアや窓の奥では絶えず何かが起きている。この映画で最もアイコニックとも言うべき、2つのドアを映したフィックスショット。画面には突然女が出現し、すりガラス越しに動く影。床と雑巾が擦れる音。2つのドアの運動。これだけでも観られてよかった、お釣りが出る、と感じた。

多弁なエアコン修理業者。静かな中でずっと喋っていて不穏。ここも見逃せなかった。エアコン業者の服を着た数人がすっとフレームインし、彼をアシストする。この連携は見事だったし、きちんとユーモアをしている。

惜しむらくは複数ある。例えば物語に関することであり、個人的なことなのだが、青年の描写はあまり重要ではなかったように感じる。彼の台詞や独白は、その他の要素より機能していないように見えた。おそらく、物語としてパッケージングするにあたってそういう処理をしたのだろう。これが無ければ無機質な実験映画になってしまうかもしれないが。

疑問点が一つ。後半、女が鍵を家具のポケットに入れる場面がある。そこのある1ショットで、おそらく意図的にピントを外しているのだ。かなり手前にピントが合っていた。なぜだろうか。

上映終了後、耳がかなり敏感になっていた。観客の足音や椅子が軋む音。

続けてギィ・ジル『海辺の恋』を観ようかと思っていたのだが、『河童の家』が思いの外良かったのでまた今度。フライヤーをたくさん貰って帰宅。

飲みに行きたくなったので友人を誘って寝台船へ。近況をはじめ、印象的だった美術館・博物館の話や映画の話をして、日付が変わる頃に帰宅。明日に響かない飲酒は罪悪感を持たずに済む。

YouTubeに濱口竜介と黒沢清の対談があったので見る。彼らは新作を引っ提げた日本映画のトップランナーで、お互いにリスペクトを欠かない師弟なのだ。彼らの映画は翌朝から日本各地で封切られる。明日が楽しみだ。

戻る