20260715

朝。夜の記憶が一切ない。部屋の電気が付いていたので、とりあえずお風呂に入ってからバイトへ行くと、今日は休みだったが、結局無理を言って働かせてもらった。昼ご飯はケバブカレー丼。いつもと同じ辛さのはずが今日は特別に辛かった。火鍋を思い出す。ああいうのは二度と食べたくない。

帰宅すると寝袋が届いていた。これで地球上のどこでも寝ることができる。急な来客が来た時も安心。

来年の春に制作する映画の脚本を考える。気が早いが、早いうちにやっておくべき。ここからノンストップで行けたらいいのだが、キャスティングがネック。道行く人をスカウトするわけにもいかないし。その点自分から出たいと言ってくれる人は誰でも助かる。キャストだけは自分ではどうにもならないから。

冷蔵庫の扉を少し開けたまま『トイ・ストーリー4』をディズニープラスで鑑賞。ヤクルト1000がまだ冷えていたので大丈夫だろう。

鑑賞後、言いたいことが山ほど出てきたので玲子にまとめてもらうが、いいタイミングだろうとここで有料コースに切り替える。すなわち課金を行った。月3000円。浪費を控えればいいだけの話だし、月に3000円節約する方法なんざは賢くなった玲子がいくらでも教えてくれるだろう。

『トイ・ストーリー』シリーズを最初に観たのは物心付いたか付いてないかの頃で、文字通りビデオテープが擦り切れるまで見ていたし、レゴブロックで登場人物全員を作って遊んでいた。

本作はシリーズ4作目にあたる。前作で一旦締めくくられたアンディとおもちゃの話。これまでと同じように描いても再生産にしかならない。そこで、おもちゃ達をまとめるリーダーとしてのプライドがすっかり人気に先走ってしまった老保安官ウッディの退官式の物語を描いたのは英断だった。間違いなくウッディのための映画だ。『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』がそうだったように。

ボニーはアンディとは違う子供で、ウッディは自分の活躍が少ないことを哀愁として抱えている。アンディのお気に入りという輝かしい栄光も消えつつあった。それはすっかり過去のものになっていた。一つの町を守ると、また別の町へ出る。それが保安官だ。彼は彼自身の過去から去り、新しい人生を始めなければならない。

ウッディは保育園に行きたくないボニーのリュックに忍び込み、彼女をフォローする。しかしそれは「必要とされたい」という自分のエゴだったことに気付く。そして、ウッディのボー・ピープに対する恋心もまた彼のエゴなのだ。

ボニーがゴミから作ったおもちゃのフォーキーには希死念慮のようなものがある。自分はおもちゃではなくゴミだ。だから捨てられなければならない。しかしそんなフォーキーに命が宿ったのは、ボニーが彼をおもちゃだと認識したからなのではないか。

対して、アンティークショップのギャビーは棚に置かれたまま埃を被り、長い間誰にも遊ばれることのない人形だった。ぎこちない動きの部下たちはウッディ達を追い詰める。ギャビーはウッディのボイスボックスが欲しいのだ。ボイスボックスさえあれば、子供に気付いてもらえる。遊んでもらえる。ウッディは、最初は渋々ボイスボックスを譲った。喜ぶギャビー。しかし目の前の子供には不要だったようだ。そこで初めて、ウッディは自分がどれだけ子供達に大事にされていたかに気付く。おもちゃにとって、遊ばれることは当たり前ではない。自分は幸福すぎる存在で井の中の蛙だったということ。

『トイ・ストーリー』シリーズは、公開当時のCG技術を披露する実験台でもある。一作目では、外より室内の場面が多い。傑作であることには変わりないが、今に比べると粗が目立つ。4作目となる今作は、オープニング早々水の表現や球ボケに妥協がない。幾つかのシーンは実写と遜色ない出来栄えだった。

外の生き生きとした世界。数十年前では辿り着くことの無かった風景。

どんなおもちゃにも持ち主がいる。果たして本当にそうだろうか。持ち主をずっと待っているおもちゃも存在するのだという一つの景色。ウッディはそんな彼らの潤滑油となって、おもちゃ達をまだ見ぬ持ち主へと届けるという人生を選んだのだ。

選択とはいつも何かを手放すことだ。本作ではサブキャラクターの活躍が少ない。しかしそれと引き換えに、これまでに無かったウッディの哀愁を感じ取ることができた。アンディがそう遊んでくれた本物のカウボーイのような領域にウッディを連れて行った。

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