脚本を書きつつ、ゴダール『カルメンという名の女』を観る。話の脱線具合や音と映像の切断感は相変わらずのゴダールだが、単純に画作りがしっかりしており、大衆に寄せた面構えをしている。でもゴダールにしか許されていない演出感はなんとなくある。こういうのを素人が真似すると大火傷をするが、これが映画の本質のような気もする。バイオリン、カモメの鳴き声、さざ波、銃、ラジオ、病院、陰毛、強盗、夜の町。意味の有無の前に、スクリーンに映るものの存在がある。フィルムは止まらない。銀行襲撃シーンの編集は流れるようで特に見事。運動を失わせないリレーのような編集が幾つかの場面で使われていた。
ゴダール本人が本人役で出演していた。
結局脚本を書くのに夜中までかかり、3時くらいまで起きて作業。なんとか頭の中にシーンが浮かぶまでに至ったが、寝て起きるとまた違うかもしれない。眠い。
撮影が上手くいかなくて途方に暮れる夢を何度も見る。私だから耐えられるけれど、並の人間は映画なんて撮らない方がいい……と言いつつも、皆映画を撮ればいいのにとも思う。ぼーっと関わっているよりも現場の雰囲気がはっきり見えてくるはずで、そうするとこっちも助かるのだ。