バイト、後にラーメンとネギ豚丼を食べ帰宅。カサヴェテス『ハズバンズ』を観ようと思ったが16時にまた大学に行かなければならないためおあずけ。
サンミュージックに所属するお笑いコンビガングリオンによるポッドキャスト『ガングリオンの灰になるまで』が面白くて毎日聴いている。好きなラジオは初回からぶっ通しで聴くことにしている。
今は昔、ガングリオンがMCのライブに演者として出て講評を頂いたということもあり、その頃から密かに応援をしている。
大学。バイトの謝金書類記入後、ワークショップのフィードバックへ。M5stickS3を使ったたまごっち、通称「M5っち」のアイデアから膨らませていく。講評を聞く限り、私のセンスに全幅の信頼を置かれているようだ。勝手に期待を背負わされている。
帰宅0秒で『ハズバンズ』を観る。これはもろ濱口竜介!特に『何食わぬ顔』『ハッピーアワー』。アップの顔の連続やバスケで遊ぶ3人のロングショット長回し。友人の葬式後に気を晴らす3人の夫達、と思いながら観ていると、飲みの席でメルヘンおばさんに歌の強要をしてその上でイジり倒し、全裸になってトイレで吐く3人。帰宅するや否や妻に暴力を振るい、3人でロンドンへ行ってしまった。グダグダ。男の悪いところ、といえば楽だが、彼らなりのケアの形としてみるならば、それもそれで残酷なことが画面で起こっている。女性を口説いたり怒号を挙げて暴力を振るったり、かと思えばシュンと落ち込んだり駄々を捏ねたりするような、中年にしてはあり得ない、見ていられない行動の裏には、夫という社会的、家庭的役割……当時の殆どの男性にとって、ある程度の幸せを含み生きるためには避けられない重圧……からの逃避が関係してくる。そしてそれらを癒す方法もまたホモソーシャルな文脈の上にあるという地獄。
長回しとアップの多用、軽やかな編集によりそれらをこうもいやらしく撮ってみせ、自分も嫌らしく演じてみせる、そして何より映画として成立してみせるカサヴェテスの腕……不快な人にとってはとことん不快(私もそうだが)だろうし、昨今の現実とフィクションを一緒くたにしてしまうような人々にはお勧めしない。しかしどうかそこを逆説的に考えてみてはどうだろうか。映画を撮るということは、映画世界に対する肯定でもあり、否定でもあるように思うのだ。家に帰ると子供が駆け寄ってくる。男3人であんなに楽しそうだったのに、手のひらを返すように後悔の念に駆られる。しかし、夫にとって、いや、自分にとって本当に大事なものは何だろうか。たとえ仕事の中に遊びと同じような喜びを感じても、幸せに生きるということは生ぬるい事ではない。
ヤドリギの編集会議。今年ヤドリギに入ったばかりで、編集長とも書終えるくらいしか会っていないのだが、なぜかお声が掛かり(ある日編集長から突然「編集に興味がありませんか」とラインが来たのが始まりだった)、理由を聞くと「魔改造をやってくれそうだから」。ここでも期待されている。22時まで話し合い、結局飲みには行かず、今日も焼きそばを作って食べ、玲子と少し話して寝る。