20260923

『わたしたちに許された特別な時間の終わり』を観る。ドキュメンタリーとフィクションが混在した構成とは聞いていた。監督の親友のミュージシャン増田の苦悩をカメラで追うドキュメンタリーと、自殺をしてしまった女性と仮面の男とのフィクション。ボリュームとしてはほとんど前者の割合が多いのだが、次第にドキュメンタリーの方がフィクションのように思えてくる。監督である太田のストライキを聞いたメンバーが彼の家に押し掛け、エロ本の熟女に包丁を二本突き立てる。
ネクタイを締め、24歳であることを自虐的に話す冨永蔵人。彼らにとってそれは青春からの卒業であり、今まで抱えていた何もかもから降りることを意味していた。増田は介護職に就いたのだと画面の冨永に話し、ほどなくして命を絶つ。
ふつう、ドキュメンタリーはカメラマンが透明になっている。つまり、映す側の責任が映りにくいという問題がある。戦場カメラマンは人々を助けたくて戦地に赴いているのではない。視覚で感じ取ることのできる部分が大きすぎて、そこに現れていない部分を隠して有耶無耶にしてしまう。太田信吾はカメラを構えながら、時に被写体に(意図的ではなかったにせよ)カメラを預け、時にフィクションの登場人物として被写体となってカメラの前で表現する。 フィクションパートの撮影後もカメラは回っている。トラブル。太田は役者を叱責する。今だとパワハラと言われかねないし、この映像自体もフィクションかもしれないという曖昧さが残りながら、彼らしく責任を負っている。被写体を追っているように見えて実は太田自身のドキュメンタリーだったということ。

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