短い短い短い短い夏です(京都の)

次の一手を考えなければならない。後ろ指を指されるような暑さに、我々は今一度直面しなければならない。蒸気機関車の表面のような照り返りを見せる肌が、私の身体には依然とへばりついている。そしてまた、蒸気機関車でなく、この街に長きに渡り職務を全うしているあの煙についても、十分なる対処の余地を与えたい。我々はこの煙を直視し、この土地を外部から隠蔽する必要がある、あったはずだ。そう思う。

深刻であり、片や深刻ではない。ポリス帽に暴言を吐き、それが原因だか何だかで連れていかれるおじいちゃん。お前黙れ。私はそれを横目に五十枚の千円札を下ろす。一万円札をご丁寧に十枚に磨り下ろすシャッシャッシャという音と共に、私の瞼は痙攣する。実のところ、この頃いくら寝ても満足できない身体と精神になってきている。
バスの窓に流れる景色で眼球を研磨。小学校のプール授業ではタニシが挟まっているマットを駆けっ走り、拷問器具のような蛇口で拷問のように目を洗っていた。眼球に何かが触れる度思い出す。京都はまるで……あの頃死ぬ思いをするほどに深くそして広大だった……プールのようだ。平成生まれのガキが正直ベースで気になっている女の子に見せるあの美しい犬かき。犬より上手なあの犬かき。涙がちょちょ切れる。こういうガッツを見せてくれる男性は世の中に中々いないものだから、すぐさま戦争に駆り出されてしまうであろうマッチョとは違い、(イタリア人が勝手に映画化したことでお馴染みの)清王朝最後の皇帝よろしく玉のように扱われるのが定石のはずだが……何故か早死にしてしまうのだ。地球という星は衰退の一途、美術館でリュックを前に抱えて鑑賞している薄毛のサラリーマン達も、悲しいかな間もなく淘汰される運命だという。本当に狂っている。涙がちょちょ切れる。彼らの何がそんなにおかしいというのだ?

目的地に到着。束の間、目的地なんて初めから存在しないことに気付く。バスに乗っている誰しもに行きたい場所があると思ったら大間違いだ。バスの乗客に共通することはただ一つ、バスに乗っているということだけだ。その事実が、運転手のピザLサイズ大のハンドルをより固く、黒くさせる。立派なモノだこと。

なるべく下品な家族がお誘いひしめき合っている回転寿司を探し、ボックス席に横たわる。向かいには私のリュックが気持ちよさそうにくつろいでいるので、セルフィーに入れてあげる。
熱々のお湯を飲んでほっとしていると、クリスタル色の粗悪なプラスチックからなる機関車がカーブを切ってやってくる。どうやらケーキを牽引しているようで、私はそれを手前に引き寄せる。他の皿と同じく勝手に取っていいのだろう。回転寿司のレーン上は誰の領地でもない。ゆえに本来は南極大陸と張り合える存在なのだが、回転寿司屋の敷地内にあるという複雑な構造がそれを邪魔する。寿司にとっての聖域は、社会の上澄みではなく、むしろ最下層に近い場所にあったのだ。それは、寿司自体がそのレベルに位置することを意味しない。

ここに来る前、私は確かに自分の部屋にいた。なぜここにいるのか?一体誰が私をここに連れてきたのだろうか?私の口内にたらふくのびんちょうマグロを詰めようと躍起になっている無礼者はどこのどいつだ?全く頭が不明瞭で情けなくなってくる。

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